公開授業: サイン本とわたし-本を通じた出会いと対話

 
 

公開授業: サイン本とわたし-本を通じた出会いと対話
(2016年1月30日/ front)




1月30日に行った、近藤先生によるトークイベント『公開授業: サイン本とわたし-本を通じた出会いと対話』にお集まりくださった方々、ありがとうございました。

一緒にお話を楽しむ人、気になる本を物色する人、先生の声をBGMにお茶をする人・・・公開授業の名目でしたが、終始放課後のような自由な雰囲気で、あっという間の3時間でした。レクチャーのように一方的に話を聞くのではなく、参加した人が思い思いにここでの過ごし方を見つけてくださっている様子が新鮮でした。

今回の展示では、近藤先生のたくさんの蔵書のなかから、主に「サイン本」を選んでご紹介しています。近藤先生は、展覧会のカタログや作品集、また興味のある作家の資料を自らまとめたファイルにサインをもらうことを、ライフワークのひとつにしています。それは、サインそのものを集めることが目的ではなく、サインをもらうことは、自分と作家とのコミュニケーションの手段であるという考えからです。サインの数だけそれぞれにエピソードがあり、それはまさに一期一会です。

単に作家にサインをもらうと言っても、アイドルのようにお膳立てされたサイン会があるわけでもなく、きっかけは自分で作らなければなりません。アーティストトークの後や、展覧会の初日など、さまざまな機会を見計らってトライするものの、タイミングが合わずに、もらいそびれてしまうことも、しばしばですが、それもまたエピソードのひとつ。自分が起こしたアクションに、作家がどんなリアクションを返してくれるのかが、楽しいのだと言います。例えば、あらかじめ用意していたカラフルなサインペンの中から、何色を選ぶのかを楽しみにしているのに、作家によっては使い慣れた自分のペンや鉛筆でサインする人も多く、そこに作家のこだわりが垣間見られたり、名前を書き添えてくれる人やドローイングを描き入れてくれるサービス精神が旺盛な作家もいたりと、サインに対する意識や捉え方も様々とのことで、近藤先生のお話をお聞きしていると、サインをすることも、作家のパフォーマンスのように思えてきます。

また最近では、自分でサインをもらいに行く、ということにこだわらず、古本屋でサイン本を見つけると買ってしまうそうで、見ず知らずの人宛てに書かれたサイン本も多数あります。どんな人が、どんなきっかけ、シチュエーションでサインをもらい、そこにどのようなやりとりがあったのかを想像するのが面白いのだと、近藤先生が話されると、きっと近藤先生にとってサインは「絵」と同じなのでは?という意見が出ました。なるほど、残された痕跡からさまざなことを想像し、つながりを持とうとすることは、美術を体験、鑑賞することと、さほど変わりはないのかもしれません。

公開授業は「教科書にまつわるよもやま話」として、3月19日(土)にも予定しています。
皆さんが高校生だったころの美術の教科書は、どのような内容でしたか?そういえば、授業ではほとんど開いたことがなかった、というくらいの記憶の方も多いようですが、最近の美術の教科書は、今まさに活躍している作家が取り上げられていたり、驚くほど内容が新しくなっています。一方で、刷新されていくばかりではなく、一度削除された項目が見直されて再採用されることもあるとのこと。時代とともに移り変わっていく教科書について、教える立場からの視点でお話しいただきます。